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え〜と、やたんぽと申します。 私もこちらの常設掲示板にお邪魔しています(って、こういう書き出しでなきゃダメなの?)。
さて、いよいよ始まった映画論第1段、《オンリー・ユー》ですが。 これが最初にして最大の難関だったりします。 ホントに辛いんです…OY論。 案の定、NbU様と《パート分け》も同じなら、《エルの心情》解釈も同じ。 それと出張前に、視聴しながら執っていたメモ。このツッコミ所はdeacon様とほぼ同じという…。 違った見方もあるだろうし、想像もつきますが、それじゃ自分の視点に嘘をつく事になりますし。 弱ったなぁ…。 まぁ仕方ないので、パートの流れに沿ってつらつらと書かせていただきます。
まずこの映画について先に思うのは、明らかな《やっつけ仕事》だった故の、《粗》が目立つことです。 当時のアニメなら《こんなものか…》と思う方もいらっしゃるかも知れませんが、それは違います。 作画と言い、演出と言い、レベルが1〜2段は低いです。 一説によると新年1月公開なのにも関わらず、進行が押井監督に泣きついたのが前年10月であり、その時《エル》というキャラデザインのみしか無かったと言われています。 (反対に押井監督が最初から加わっていたという説もあります) deacon様の言う《統一感のない作画》とは、この製作期間不足が大きく起因していると思われます。 ただよく言われる《あたるのキャラ設定が変》なのは、監督自身の《思い込み》というか、ギャグ要素を強くする為の《確信犯的行為》でしょう。 (TV版・劇場版を問わず。ことに劇場版のOYは酷い。しかしギャグは上手い。特に反復ギャグ) ですから、《ときめきの聖夜》《サマーデート》《君去りし後》に於ける2人の関係も、《積み重なった》と思うのはファンの勝手で、この監督の場合、毎回《リセット》されていると見る方が自然です。 だからこそ《去り際》に、2人の関係をファンの望み通り修復すべく《スクランブル!
ラムを奪回せよ!!〜死闘! あたるvs面堂軍団!!》を、置き土産にしたと私は考えています。
Opening
《影踏み》 影踏み=影絵は悪くない発想ですが、往年のNHK番組のような徹底した影絵にスタッフはしたかったんじゃないでしょうか。 いきなり中途半端な印象で始まり、私はこのシーンが苦手です。 またいくらあたるがバカでもUFOと遭遇していれば、何らかの記憶は残っているでしょう。 例え影踏みを女の子とした事を忘れても…と思っていましたが、ここはエルの回想なので、あたるはUFOを見ていない可能性はありますね。 (影、踏んどるやんけ!!
とdeacon様が書かれたのとは違う理由からエルの回想と知りました) 劇場公開時に削られた面堂邸のシーン。ここは皇居か?向こうのビル群は新宿と思いました。 で、電話は手回しの野戦仕様。サイドカーのナビの体重移動に注目。 しかしOPの歌の終わり頃、街中に案内状を空からバラまいているので個別に送った理由が不明。 カットされたのはこれでかな…とも思えます。 メガネ達が牛丼屋でこれを受け取るのは意味があります。 《犬の押井》でなく、この映画は徹底的に《牛》なんです。何故かは解りません。スタッフ間で流行ったんでしょうか? もしかしたらレイの妙な活躍にも繋がっているのかも知れないです。
Part1
《学校から地球脱出〜星間戦争》 投稿シーンでの噂に、重婚=ロリコンの一種?と囁かれています。 これはスタッフの確信的挿入でしょう。当時流行っていたからね。くり〜むレモンとか。 ディーンに移ってチビの冤罪シーンや、もろ、くり〜むレモンのパロもありましたね。 教室では科学の授業。黒板には《すき焼き》の作り方。牛です。 この後、拷問シーンが来て母船出現ですが、ラグビーをやっている生徒に白井コースケっぽいヤツが。 ヒラヒラと舞うバラの花弁の演出は見事。このままピンクの透過光で行って欲しかったのですが、《いきなり》空が夕焼けに。 まぁこれはエルの回想と繋げる為の《簡略演出》ですね。悪くはないですが《色指定》は変です。 この母船は思いっきり、スピルバーグの《未知との遭遇》のパロです。 しかし《11年前も昔から浮気してたっちゃね!》っていうラムの論理。好きです。 その後の諦めが良いラムとは好対照です。このラムに《え?》と思うのは皆さん同じで…。 そして物議を醸したラムの徘徊〜弁天との出会いです。 最初の喫茶店。BDでは花屋に替わったのか?と思ったのは私だけでしょう。 良く聞くとこの辺セリフが無茶苦茶。ラムに対してUFOで寝ろよ!とか、《三界に家なし》(天界・人界・地獄界で三界)って、どこの生まれだおまえわ!と弁天にツッコミを入れた人は多いでしょう。 で、この後牛丼屋。牛です。 寝相が悪くても落ちないテンを羨ましく思いつつ、《大盛り・味噌汁・お新香付き》と言い切ったレイにビックリ。 こんなセリフの長いレイはこの後も見ません。そして牛が牛を注文しているのです。牛だ。 また原作でレイに喰い潰された店がここだったような錯覚をしたのも私だけでしょうか。 弁天の励ましにより家に戻るラムのUFO。酔わないのかなぁ。この後も飛び方がず〜っと変です。 親父もローンの事を言う前に《年齢》を気にしろよ。 《うずしお》は当時最新だった洗濯機の名です。誰も骨格がバラバラに破砕されないのはさすが。 例の星間タクシーも出てきますが、ミッションはマニュアルなんだね。どういう変速をするんでしょう? しかしメガネの枕の裏…よく気づきましたねdeacon様。私はこれ、知りませんでした。 ブリッ子=はまちッ子、牛丼の大将後にラムの親父の母船出現がありますが、あの出現シーンはマクロスのフォールドをパロッたもの。 そしてすき焼きの家族シーン。牛だ。 未婚の方は想像外でしょうが、相手の親に承諾を得るとホントに女性はこんな顔をします。 私は《その顔》を横目で見て、この映画を想像してしまい…プッと…。ひんしゅくを買った覚えがあります。 続く戦闘シーンは2人の会話と鬼軍の命令アナウンス、それぞれがまったく噛み合わない《反復ギャグ》のお手本です。 これは今見ても可笑しいです。《にぃさ〜〜ん》が最高。 ロゼのセリフ。《その顔、その姿…暫く借りるぞ》これは後に高橋先生自らがパロっていますね。 ラムの出撃シーン。このローアングルを描いた作画はパースと言い加速感と言い、とても上手いです。 この後のアニメのコックピット・シーンはこのアングルが増えました。 爆発後のラムの横顔が好き。牙が可愛いです。
Part2
《エル星》 誰がどう見ても《バラ星雲》なんですが…若い星が次々に産まれる、生命の発生にはまだ早い過酷な環境と想像できます。 そのせいか、惑星そのものがバラ状のシェルターで覆われているのは《誰の発想》なんでしょうか。 私の小説はここをもとネタにしています。 もともと音楽がとても良いこの映画で、一番良い音楽が流れるパート。 屋外エレベーターで見かける牛丼屋の音楽もなかなか。牛だ。 さりげないエルのセリフが11年の想いの丈を滲ませています。それも1度や2度ではなく。 解釈はNbU様とまったく同じです。ですからこれ以上書きようがないです〜。 《我々は自らを犠牲にして、我々の為の貴重な時間を稼いでくれた彼の名を永遠に忘れないだろう》 BDの萌芽がそこはかとなくここに。 《冷凍マグロと一緒にしないで!》というしのぶのセリフもなかなか。
Part3
《ラムの回想》 弁天のセリフから繋がるこのシーンを《アリア》と呼ぶNbU様のセンスは最高ですね。 私は《モノローグ》で終わっちゃいました。 ここでラムが想像する、或いは思い込んでいるあたる像が、ストーリーとかけ離れすぎ。 でもファンの心情だよね。
Part4
《再びエル星〜結婚式襲撃〜異空間トリップ》 テンのセリフで始まるこのパート。 このテンのセリフが…完結編のお別れと同じで、虐待されつつも《優しい》テンが滲み出ています。 結構好きなシーンです。 自棄酒のロゼ。私が普段行く酒場もこんな感じ。隅っこで小説ばっか読んでいます。 しかし結婚シーンでのテンも惨めな役だ。 更に仲人。こんな仲人は絶対にイヤだ。名前が某サンライズ系ロボットもののパロ。 99,999人の色男の暴動。ここに居合わせるクラマ姫…か、哀しいぞ。 誓いの言葉は別段何かのパロではないのですが《カリオストロ》を思い出しますね。 エル星の国教は基督教なんだ…。 で、次が本物のパロ。男女が逆ですが。ダスティン・ホフマンならぬラムでした。 この辺り、作画がすっきり見えますね。 そしてワープによる異空間というか過去へのトリップ。 これは記憶へのトリップとも言えるでしょう。 これをエルの記憶とするとどうでしょう。 あたるは忘れていただけですが、エルは踏まれていない事実を知っていて記憶を封印していたと解釈するのです。 女王となるべく定められた運命…それらの重圧を投げ捨てる事も出来ず…。 子供時代の自分に《綺麗》と優しく言われた事で彼女はけじめをつけ、少女時代に今決別し、真の女王としての道を歩む決心をしたのでは。 エレベーターの涙はそれを表していたともとれます。 そしてその重圧とは…これが私の小説ネタなんですね〜。だから書きたくなかったんですョ。
Ending
《ラムとの結婚式》 まぁいつものバタバタですね。鬼星も基督教なのかと…そんな程度のツッコミしかありません。
<総論> ストーリーは短期制作とは思えないほど《まとも》だし、これ自体が《うる星やつら》の世界を完結させているとの論も賛成です。 ただ作画のまずさは頂けません。 これは私が《アニメ=総合芸術》と考え、《見せる=魅せる》と思っているからです。 この点で私は、完結編を除いて《うる星やつら》の世界を完結させているという意味で《いつだって…》の方が馴染むのです。 映画じゃないよあれは、或いはらんま画でダメだ…という論も承知の上で。 |