うる星やつら劇場用長編アニメーション第一作

オンリー・ユー極私的映画論
9/21アップ

公開年月日 1983年2月
同時上映 ションベンライダー(実写)
視聴媒体 LDうる星やつらオンリー・ユー
ノーカット版より

ストーリー 11年前の友引町。夕焼けの美しい公園で影踏みをして遊ぶ男の子と女の子。必死で女の子の影を踏もうとする男の子。夕焼けが沈みそうになったその時、遂に男の子は女の子の影を捉えた。「捕まえた!」。驚く女の子。彼女の星では、影を踏まれたものは、踏んだもののお嫁にいくさだめがあったのだ。11年後に男の子を迎えに行くと言い残して宇宙船に乗る女の子。これが全ての始まりだった。
11年後。いつもと変わらぬ友引町。その上空にインベーダーの郵便局員の姿が。あたるやラムに馴染みの深い人々に何かの招待状を配る郵便局員。なんとそれは、あたると「エル」による結婚式の案内状だった。エルとは一体何者なのか。それを解明すべく、4人組、しのぶ、ラム、面堂が動き始める。しかしあたる自身がその「エル」について何も知らないのであった。そんな全員の混乱の中、巨大な宇宙船が友引高校の上空に現れる。それこそが、あたるをエル星へ連れて行こうとする巨大母艦なのであった。「エル」が超ど級の美人であることを知り、即座にエルとの結婚を決意するあたる。絶望に陥るラム。そんなラムの様子を心配して、はるばる遠い宇宙から弁天がやってきた。落ち込むラムに、「先にあたると結婚して既成事実をつくれ」とたきつける弁天。友だちの言葉に力を得たラムは、翌日エル星へ向かおうとしていたあたるや、あたるの両親、4人組、面堂、しのぶ、錯乱坊、サクラ達を強引に自分のUFOに連れ込み、ラムの父の力を借りて自分の星へ向かう。そこへ立ちはだかる、エル星連合艦隊。あたるとラムの為に命を捨てることを厭わないラムの星の人々。しかし肝心のあたるだけが煮え切らない。このままラムとの結婚を果たしてしまうのかと絶望している時に、エル星の七変化のロゼがあたるを救出に登場。ラムを気絶させたロゼは首尾よくあたるをエル星へと導くのであった。
偶然一緒にエル星に運ばれた、4人組、面堂、しのぶ、錯乱坊、サクラ、テン。この後の自分の人生に悲観するも、メガネだけノーテンキなあたるに感化される。そしてあたるとエルとの再会。この二人こそが、冒頭の幼き男の子、女の子であった。自分の影を踏まれたエルは、この11年間、あたるに会うのを熱望していたのだ。そしてこのエルはこのエル星の実質的支配者、つまりは女王なのであった。
その美しさや、権力に見せられたあたるは、エルとの再会を喜び、完全に浮き足立つ。しかしその二人をみた面堂は自分にもチャンスがある筈だと思い、エルにアタックを開始。首尾よくエルの気を惹きつける事に成功、その晩、エルとの密会を果たす。しかし彼がつれられたところは、彼女が10何年間知り合った男性が冷凍保存されている巨大冷蔵庫であった。ちょうど面堂の後ろをつけ、この恐るべき悪趣味に気づいたあたるは、一気にエルへの愛情が憎悪へと変わっていく。しかし、あたるへの思いを断ち切れないエルは、あたるを監禁して結婚式へ臨む決意をする。
一方傷心のラムは、いつのまにかエルの星に侵入していて…。
極私的映画論 記念すべきうる星やつら劇場用映画版第1作。当時のキティフィルムやフジテレビ、サンデー等が全力を尽くした作品。その出来やいかに!?
冒頭、ノスタルジックな赤を強調した影踏みシーン。この明らかに子供による棒読みセリフが、当時の私にはキツかった。また、幼年時代のあたるだが、いまの面影が全くない。まぁ、物語的に、この時点でこの男のがあたると分かったら面白くないからそういった配慮がなされたのだろうけど。問題は、この場面で幼少のあたるが、幼少エルの影を思いっきり踏んでいるということ。つまりこれは、実際の映像ではなく、誰かの回想シーンである可能性が高いわけだ。すると、自分の影が踏まれたと思い込んでいたエルの回想シーンであろうか?すると、エルが去っていったあと、「11年たったら僕は17歳か。長いなぁ」とため息をつくあたるの姿に矛盾が生じる。いきなり冒頭でこれ程悩んでしまったら物語が全然進まないなこりゃ。とりあえず、これは単なるプロローグ、そして映画の象徴であるということにしておこう。

次なる場面は、友引町上空を自転車で飛び回るエイリアン郵便屋のシーン。ここから面堂邸のシーンが映画ではカットされた。この、面堂家の守衛が手紙を受け取ってから若(終太郎)の元へと駆け込むシーンの迫力が凄い。構成上カットを余儀なくされた(サンデーグラフィックより)とのことだが、現場の人にとってはさぞかし断腸の思いだったであろう。サイドカーの激走ぶりはもちろんのこと、突如何の前触れもなく登場する戦闘機の細かい描かれ方等、スタッフのメカに対する深い思い入れを感じさせる。このシーンの作画担当は多分山本将仁氏。氏独特のキャラの動きが画面に躍動感をより一層与えてる。しかし検問所、簡単に突破されてどうする。何の為の検問所だか…。

そして画面はオープニングへ。
この前のカットされた面堂のシーン及び、オープニングの作画担当は青嶋克巳氏か。デッサンの非常にしっかりとした、そして非常に可愛らしい女性キャラから推察した。

そして…。問題のあたるラム登校シーンだ。
オソロシの遠藤裕一氏による作画。ちなみに氏のうる星テレビアニメ版デビューは同年(1983年)2月2日に放映された第81話「ミス雪の女王 キッスを奪え!」である。映画の公開ともほぼ同時期の為、映画が先か、テレビの作画が先かは私には定かではない。しかし。公開当時、この氏の作画をみて愕然とした人間は多かったようだ。何しろキャラの顔が原作からかけ離れすぎているのである。特徴付けると、全員が面長になり、そして瞳と瞳の間が狭い。また、二枚目キャラの眉毛が以上に太い。結果、全員が全員とも猿顔になってしまっているのだ。あたるはあたるに非ず、ラムはラムに非ず。しのぶの時計台におけるシーンも、見るものを地獄へ叩き落としてくれる。それぞれが確実に氏の筆によって「猿」化してるのをみるのは非常に辛い。あくまでもこれは個人の趣味だから、この絵がいいという人もいるだろう。ただ私は、ディーン時代になってからも、最後まで馴染めなかったのは事実です。
 前半の絵柄についてはこの辺で筆を止め、話を内容の方へと移そう。あたると「エル」との結婚の事実を知ったメガネ率いる4人組による毎度の時計台での拷問シーン。このシーンに入る前に、友引高校のその他大勢が結構アップで写る場面がある。テレビアニメ中期の校長曰く、「うちの高校にはブス子はいない。(アニメ第114話「ドキュメント・ミス友引は誰だ!?」)」とのことだったが、このシーンの女性キャラは、「ブス子」以外存在していない。なぜこれ程に○○なキャラばかりと思うくらい、痛烈な顔のオンパレード。そう言えば、テレビアニメでも初期は結構「個性的な顔」が多かった。これから中期後期にいたる過程において淘汰されていったのであろう。あの校長に。考えてみれば恐ろしい話。閑話休題。この拷問シーンにあの懐かしいサド山君が登場。実際こいつはアニメの第二話とOY以外殆ど登場していない。それにしては強烈なキャラ。他称、350パウンド2分の1。1パウンド(ポンド)は約453.6g。つまり彼の体重は159kgにも及ぶ。高校生にして相撲取り並の恵まれた(?)体重。なのに所属クラブは「拷問研究会」。どこで道を間違ったのだろうか。この、サド山と、メガネ、そしてあたるにおけるコンビネーションが最高におかしい。また、古川氏演じるところのあたるが、見るからにくすぐったそうで、この場面の可笑しさを一層盛り上げている。さて、ここにおいて、メガネの本音が吐露される。「なぁ、あたる」で始まる彼の胸のうちは、当時のラムちゃんマニアを含む二次元オタクの本音そのものだったのでは(特に後半の「俺だって本音は付き合いたかった」等)。ただ、メガネはまだ同一世界に住んでるから良かったものの、現実世界に住む一般オタクにとっては、「ラム」とは更にかけ離れた存在だった為に、その切なさは我々の想像を絶するものがある(と書いて当事者でないフリをする筆者)。この後のパーマによる「俺たちは脇役でかまわんのだ、ラムさんがしあわせなら」のセリフもいいですね。こいつはたまに、胸に迫るセリフを吐く。アニメ第129話「死闘!あたるVS面堂軍団!!」においても「ほんじゃ、いこーか。ラムさんの顔見にさ」という感動的なセリフを吐いていた。全然報われないのが脇役の哀しいところだな。そしてしのぶの登場。先ほども書いたが、この顔の怖いこと怖いこと。彼女の凄まじい怒りを現すために、顔は一切出さず、ただ右手の指の動きだけでそれを表現した演出は見事。何度見ても笑えるシーンです。あいだをおかず、次にはラムの登場。ラムの膝に抱きつくあたるの描写、そして同じく顔が一切見えないラムの姿が我々の想像力を刺激し、笑いを誘う。ラムの必殺技、電撃がひとしきり終わった途端今度は面堂機甲師団の登場だ。わずか15分強の間に、主要キャラを次々と登場させ、そしてそれぞれの特徴を見事に描き出しているこのシーンは、「うる星」初心者の為に配慮されたものだろうか。そんな大量の機甲師団を投入した面堂、第一声が「全員その場に待機せよ。手出し無用。」なんの為に連れてきたのか悩むぞホント。たんなる威嚇だったのか?そんないつものメンバーによる茶番の後に、遂にエルの巨大宇宙船が姿を見せる。このサド山といい、メガネといい、エルのUFOの出現シーンといい、マニアックな戦車、戦闘機の描写など、まさに第1話を髣髴とさせる。これこそが監督の押井氏の世界ではないか。思えば、アニメ第1話においてすでに、非常に巧みに押井氏のエッセンスは原作のテイストをそれほど損なうことなく、全て注ぎ込まれていたのだ。ひょっとして押井氏はサド山のレギュラー化も目指していたのかも。それだけは企画の落合氏も避けたかっただろう。
 話を再び映画に戻そう。その宇宙船からまず最初にでてきたのは、女の艦長。この女艦長の声は、「ラムのラブソング」や「宇宙は大ヘンだ」、そしてこの次の映画であるビューティフル・ドリーマーの主題歌「愛はブーメラン」を歌っていた松谷祐子さん。シンガーとしては素晴らしい力量をもつ松谷さんだが、声優としては、かなりわざとらしさが目立つ演技となっていた。ラムとのやりとりの「間」も相当ヘン。声自体は非常に美しいのですが。この後の、ババラとあたるのやり取りは爆笑者。必死で抗議し、懐柔しようとし、さわやかに去ろうとするあたるのテンポが最高なのである。因みにここでのあたるのセリフ「まいった、まいった、隣の神社」の意味が分かったのはつい最近のことである…。しかし。何故あたるはただ美しいとしかわからない「エル」と結婚しようとしたのだろうか。確かにハーレム作りは彼の一生の夢だったであろう。ただそれだけでは割り切れない決断の早さだった。この事についてはまた後で考察してみたい。宇宙船の去るシーンにおけるサクラの「それにしても宇宙は広い。ラムといい勝負の物好きがおったとはな。」もいい味出してます。しかしその中にはしのぶも含まれているわけですね、サクラ先生。

場面は変わって流浪のラム。この場面もまだ作画は遠藤裕一氏。ああ、辛い。閉店になった喫茶店を、眠ったテンを抱きつつ出て行くラム。木枯らしが吹く中、眠ったテンに話し掛ける。「行くところがなくなったっちゃよ」。UFOに帰れよ。そんなラムに「三界に家無し」と何故か日本のコトワザを切り口に登場する弁天。やはり猿顔である。この場面に出てくる時計台はあの名作アニメ第19,20話「ときめきの聖夜」にでていた時計台だろう。どうやらラムは困った時、悲しい時はかならずこの時計にある公園にやってくるようだ。このラムを尾行していた「七変化のロゼ」の声優さんは丸山裕子氏。私は「おじゃまんが山田くん」(1982年頃)の「山田みのる」を思い出す。どう聞いても美女の声ではないのだが、ロゼ自身かなり個性的なキャラなので、結構あっていたのかもしれない。場面は変わって牛丼の「よちのや」。やはりうる星やつらといえば牛丼ですね♪地球外からきた弁天も、嫌な顔一つせずにモリモリ摂取していた。ラムの箸がすすまないのはやはり元気が無い為であろう。はたまた、七味とうがらしの量が足らなかったのか?食後にお茶をすする弁天、細かいことをゆーよーだが(いつも細かいことしかいってないが)、コップのフチの位置と口の位置が微妙にズレている。あのままでは、お茶が全部顎に流れてしまうぞ。お茶を飲むというより、お茶を匂っているようにも見える。効き茶であろうか?だが、この後の弁天による銀河レンタルサービスとの電話の受け答えが最高。私にとってこの場面は前半の白眉だった。しかしあの電話はどう見ても公衆電話の赤電話。ようするに使用者がお金を入れる電話だ。なのに店の店主は「市外はダメだよ」と言っていた。弁天に無駄遣いさせないようにする親心なのか、はたまた、凄まじい守銭奴心がそうさせたのか。これが実際に店の個人的な電話であれば、店主の言い分もよくわかる。そうなると、問題になってくるのは地球外に電話をかけた弁天だ。市外や海外なんて問題ではない。なにせ「銀河系」である。この後、電電公社から膨大な請求が送られてくるであろう店主、まだ何も知らない彼の笑顔が悲しい。それから弁天、そのレンタル代の請求書を全てエル星のババラにするところがせこい。この行為がラストの伏線になっている(のか?)
 そしてレイの登場だ。やっぱりこいつも期待を裏切らずに猿顔。オールスター猿っす。とほほっす。そんでもって凄まじくも太い眉毛。当時はこういう顔が流行ってたのか。正に絶句である。
 
今度の場面は修羅場の諸星家だ。自分の老後を心配する母、ローンの心配をする父がいかにも彼ららしい。そんな母に頼まれて、説得を試み、あっさり引き下がる錯乱坊、あたるの反応、激怒する母、こういったタイミングや間の絶妙さは、スタジオぴえろならではのものだった。
 そして問題のあたるの一言。「お前とはもうおしまい!手切れ金ビタ一文ださん!」
これは相当問題のある発言ですね。これがときめきの聖夜サマーデート君去りし後を経てきたあたるの姿だろうか!?この後のラムの父の発言から分かることだが、少なくともこのストーリーはあのアニメ43、44話「スペースお見合い大作戦」の後の話なのである。この映画見た時の彼のこの姿は相当衝撃的だった。完全にラムを自分の中で亡き者にしようとしていたのである。これは一体なんでなのだろう。ハーレムを作る為にエルと一緒になろうというのは、納得できないことも無い。しかしそれによって、ラム自体を完全に抹殺しようとする彼の姿は全く理解の範疇を超えてしまっているのだ。うーむ。そんな風に悩んでいると、バリヤに守られているあたるが巨大掃除機によって回収されていた。バリヤーが掃除機に負けるというのは空想科学史上ここだけの設定では…。次々に掃除機によって吸い込まれるメインキャラクター。吸い込んだ星間タクシーとラムのUFOは、速度マッハ10、高度200mで疾走していた。っておい、高度が低すぎ。そんな高度でマッハ10を出すと…と思っていると、その通り、衝撃波で地面はエグれ、面堂機甲師団はあえなく吹っ飛ばされていた。うーん、リアル。その星間タクシーの運転手の頭上には、捕捉すべき人物リストが写真とともに張り出されていた。その数16人。メガネ、パーマ、チビ、カクガリ、錯乱坊、サクラ、面堂、しのぶの8人は分かるのだが、残りの8人はどう見ても人類ではない。どこから捕縛するのか非常に興味深い。しかしあのスピードで全く減速せず吸い込んでいくと大抵の人間は即死である。その吸い上げシーンでもメガネの場面が結構面白い。彼と一緒に吸い込まれていったのは、「PORNO」と書かれた半裸の女性が載ったエロ本、そして表がラムのイラスト、裏が「SADAMEZYA」と描かれた錯乱坊のイラストの描かれた枕。メガネ、一体どういったセンスをしているのか…。全員を補足し、ワープに入ろうとする星間タクシー。弁天の後ろでガラスで仕切られつつ、抗議する面堂達の姿の作画は多分森山ゆうじ氏。
そして場面は宇宙の大海原に変わっていく。木星や土星を横切っていく宇宙船。この木星とその衛星の描写が非常に美しい。そこから再び作画は青嶋氏!遂に遠藤氏からの呪縛が外れる。何と女性キャラの美しいことよ!これってやっぱり私の主観なんでしょうねぇ。そして遂に私の大好きなランの登場!っておい!なんだこの扱いは!「なんでランちゃんまで呼んだっちゃ」だとラム!幼馴染やンけ、呼んだれや!コーフンしつつ、場面はあたるのバリア解除シーン。うーん、これ程までに中にいる人間を考慮に入れない強制的な解除方法がかつてあっただろうか。恐ろしい。そして、あたる両親、ラムの両親による団欒シーン。このスキヤキが又美味そうなんだ。両親の顔合わせも終わり、二人きりになるラムとあたる。この場面における、ふたりの見事な波長すれ違いは爆笑物。「破滅の足音」とはよくいったものだ。ラムから強制的にエンゲージリングをはめられるあたる。普通は男が用意して、男がはめるものなのにねぇ。あたるの心境いかばかりであったか。
ここでエルの大軍団が登場、まさに一触即発の場面となる。あたるとラムのため、自分達の命を捨てようとするラムの星の人々。あくまで自分の幸せしか考えていないあたる。この二つの場面が交互にでてきて、その思想の違いのコントラストがより鮮明になっている。そこへ、ラムに変装したロゼの登場。筋肉ムキムキ状態でシャッターを破っていた。このシーンがOYの予告編で流れてしまった為、映画を見に行かなかった人が多数いたとの事だ。また新たな作画監督による恐怖のラムと勘違いした人が多数いたのであろう。まぁ、ストーリー知らない人は、これをラム本人と思うだろうが。場面は変わって四人組。今まさに展開されようとする戦争に期待感でいっぱいだ。映画ではそんな4人の姿が皮肉に描かれていたが、これはある意味現代の子供の本当の象徴のような気がする。私の周りにも、実際の戦争に行って、機関銃とかを撃ってみたいと平気でいう学生がいた。彼は普段はいたって善良な少年であって、決して好戦的ではなくむしろ大人しい感じの人間だったのだ。こういった感覚の人間が増えつつある現代の日本。考えさせられます。閑話休題。
 そんな中あたるの奪還に成功するロゼ。そこのマイクから流れてくる調子のいいあたるの声。今まで二人の為に戦おうと士気を高めていた戦士達がどっちらけ(死語)になっていく描写が爆笑者だった。そしてそしてでてきました超有名なセミヌードラム。昔、OYの上映会があるたびに、このシーンになると三脚にたてたカメラのシャッターを的確に切る音が鳴り響いていたそうな。何してるんだか。
あたるを再び取り戻そうと戦闘機に乗り込むラム。その機体はまだ修理中でバーナーをふかすとノズルが吹っ飛ぶというシロモノ。なんとかラムの発進を止めようとする整備員、
「いけませんラム様、その機体は!」といった瞬間にラム発進。
同様にその事態を知ったラムの父、マイクに向かって
「ラム、いっちゃいかん、かえってきておくんなはれ、その機体はなや」といった瞬間にラムにマイクを切られていた。お前らな、とりあえず、「壊れてる」を最初に言え!仕事でもそう、まず始めに結果を話さねばならぬのだ。まったく。爆破した機体から辛うじて脱出したラムをみて一息つくあたる。
ロゼ「気になるとみえますね。」
あたる「い、いや」
なんとなくこのシーンいいですね。
 無事にエル星に戻ってきたロゼ。しかし何故か4人組や面堂、しのぶまで乗せて帰ったために艦長から叱責されていた。
「ババラ様はお怒りじゃぞ。覚悟して置けよ」と左にいるロゼに通告。おいおい、すぐ隣にババラがいるやんけ。直接いえよ、ババラ。
 あたるとの道連れになって強制的にエル星にやってきたメガネ。ここでの彼による食い物のこだわりは、多分押井監督自身の好みなのであろう。そこであたるは、自分がこの星の最高権力者になり、ハーレムをつくり、そのおこぼれをメガネにもあたえると励ます。しかしあたる。今のこの星の最高権力者は確かにエルだ。といってもあたるはいわば婿養子。最高権力者はどう考えてもやっぱりエル。そのエルがハーレムなぞ許すはずもない。甘すぎるぞあたる。
 そして11年振りのあたるとエルの再会。こともあろうに、エルは間違えて面堂に抱きついていた。しかしだな、これはこういう大事な接見の場に、4人組やしのぶ、面堂をも通したババラの罪だろう。この後、お互いを認識し、11年前を思い出すエル、そしてイマイチ思い出せないあたるの姿。最初これを見た時は、影踏みをしたこと自体、あたる以外の人間だったのではと思った。そして面堂によるエルへの接近。10万体にも及ぶ冷凍人間を見た時の面堂の衝撃は凄まじいものだっただろう。しかし17年で10万体。5歳の頃から始めたとしても12年で10万体。一日23人だ。12年間、全く休みなく1時間に1人ずつ凍らしてきた計算になる。途中の人間となると全く記憶してない可能性大。哀れ極まりなし。この後の、面堂絶望の雄たけび、そして面堂を犠牲にして逃亡を図ろうとするメガネの詭弁が爆笑もの。そんな面堂を命をかけて助けようとするしのぶだが、面堂の口から出てきた言葉は「ラムさーん」。つくづく浮かばれん女よのう、しのぶ…。逃亡も空しく捕らえられる、面堂、しのぶ、4人組、あたる。
「いやだ!冷凍人間なんていやだ!」と絶叫するメガネ。安心しろ、メガネ、君は決して冷凍されないよ。と思っていたら、コレクションではなく、クール宅急便として凍らされていた。あらら。こういった恐怖的状況でもきっぱりと結婚を断る諸星あたる。実はたいした奴なのでは。私ならとりあえずこの場は取り繕って、夜になんとか脱出する方法を考えるが。よほど恐ろしかったのだろう。

そして場面はラムの愁嘆場シーン。BGMの「ラムのバラード」が胸を打つ。

捕まえられたあたるは屋外の洞窟型牢屋へ。ここからの作画はあの西島克彦氏!いやぁ、やはり氏の作画はいいですね!でも残念ながらここにでてくるキャラはあたるとテンの男のみ。ああ。西嶋氏による女キャラが見たかった。この場面は、絵柄だけでなく、内容的にも大好きなシーン。特に、1人演説するテンのしゃべりと動きが絶妙だった。

結婚式からまた作画が変わる。これは、遠藤氏や青嶋氏とともにクレジットされていた高沢孫一氏か?ところどころ、ぴえろ後期に活躍した大坂竹志氏と思われる作画もでてくる。
このあたる救出につぎつぎと立ち上がるラムの友達。「意に添わぬ相手とちぎらねばならん苦しみ」とクラマが呟いているが、いつのまに、彼女達はあたるがエルと結婚したくないことに気づいたのか。ここは少し謎。
このあたりから、いかにも「うる星やつら」のドタバタワールドが炸裂。解凍されエルの元に走る美男子に、プロポーズしまくるクラマの姿は扇動の為なのか、はたまた本能なのか。こういったドタバタの中、パトロール101号を乗っ取るラム。司令官本部での、「ノーマークです!」というセリフがイヤにカッコいいんだな。なんかスピード感と臨場感がたっぷりだった。そのパトロール101号に乗って結婚式場へと向かうラム。ここからラムの唇に口紅が強調されて描かれ始める。そして、1969年のアメリカ映画「卒業」を髣髴とさせる、ガラス越しのラムのシーン。抱き合うラムの顔がやたら「化粧が濃い!」との意見が多かった。私は再度見直すまで気がつかなかったが、結構批判のあるシーン(というか作画)ですね、ここは。果たしてこの場面、あたるは「愛するもの」としてラムを向かえたのか、はたまた、「エルの恐怖から救われる為の救世主」としてラムを向かえたのか。どっちでしょうねぇ。あながち後者の意見も捨てがたい。ただあの恐怖から抜け出したかったのかも。その中に解凍美男子が多数乱入。何故か真っ赤っ赤なウルトラセブンが画面を横切っていた。そして弁天による星間タクシーによる強制吸気。タクシーの天井に激突するテンのマヌケ顔は必見である。そんな状況を見ていたエル星の戦闘員、
「エル様とムコ殿がさらわれるぞ!撃てーーッ!」と凄まじくも矛盾する言葉を吐いていた。二人が乗った星間タクシーを撃つとどういう結果になるかわからんのだろうか。恐ろしい。その戦闘員に爆撃されパニくるタクシーの中には何故かビールの空き缶が。このドライバー飲酒運転か?そのパニックによる誤作動で、11年前の地球に飛ばされた一行。そこで、実はあたるがエルの影を踏んでいなかった事実が判明。逃げ足の早いあたるではあるが、追いかけるのは不得手だったようで、踏んでもいない影を踏んだと言い張ったのだ。まさしく最悪の男。11年も騙され続けて思い続けていたエル。婚約解消で国民の面子をも失うかもしれないエル。結婚式に呼んだ各星の人々へのお詫びの事を考えるだけで気が遠くなるであろうエル。全てはこのあたるの責任なのだ。目の前に現実を叩きつけられ愕然とするエル。元の世界に戻ってきた時、あたる以下に対して「早々に立ち去れい!」と威厳を保ちつつ命令。逃げる方はいいけどね。残されたエルは…。たまらん話やのう。目の前から姿を消すあたる達。そんななかあくまで威厳を失わず、部下に命令を続けるエル。最後のエレベータに搭乗する直前に見せた涙が彼女の11年を物語っていた。久しぶりに見返してみると、エルって哀しくて格好いいですね。「哀しい」度合いの方が大きいけど。

そしてタクシーはつつがなくラムの星へ。そこで弁天、こうのたまっています。
「あと1時間でバスのレンタル料が一日分加算されちまうんだよ、その金だれが払うと思ってるんだ!」ババラでしょう。「よちのや」で請求書はババラに回せといってたのはこの弁天本人なのですから。なのに、まるで自分が払うような口調。意外と守銭奴か!?弁天!因みにこのバスのシーンからタキシードに着替えるシーンまでの作画はまた森山ゆうじ氏。そして、あの「いやだ!」から、ラストシーンの作画も森山氏であろう。

 あらゆる人々を迷惑のどん底に陥れたあたる。そしてラストもやはり期待を裏切らず、逃げ出していた。確かにここで逃げ出さなければ物語的に続かないのだが。
あたるが好きな私としては、正直最初にこのOYを見た時、あたるの極悪非道ぶりに相当辛い思いをした記憶がある。あたる、殆どいいところがないのである!前半のラムは哀れだし、後半のエルに到っては目も当てられない。
んまぁ、結局一番の被害者はやはりエルだったんでしょうなぁ。
総評 という訳で、久しぶりに(何年ぶりだろう…)見たOYの総合的な感想をここに記そうと思う。
一言でいえばこの映画は「古き良き時代のうる星やつらの映画だった」ということだ。作者や、製作(特に上層部)、そして観客の人がそれぞれある程度のクオリティを感じ取り、満足した作品であるということ。
このあとうる星やつらの映画は(ラム・ザ・フォーエバーまでの3作品)、製作側(特に監督)の表現方法の一つとして作られていくことになる。つまりオンリー・ユーは、テレビ放映時に公開された4つの映画の中で最も、アニメうる星やつらのエッセンスが詰まっていたのではないだろうか。
 あたるを自分個人のものにしようとするラム、そんなラムから逃れて、真の「自由」を手に入れようとするあたる。そんな二人をみて、なし崩し的に傍観してしまうあたるを取り巻く人々、そしてラムを助けようとする弁天を始めとするラムの友達(この両者のコントラストが印象的)。物語の後半にやってくる、いかにも「うる星的」なドタバタ。ドタバタの果てにある、あたるとラムのハッピーエンド。最後の最後にやってくる、ハッピーエンドの後の余韻。こういった構成はやはり「アニメうる星やつら(特に中期まで)」の常道だ。だから、作品的にも、ヘンな監督の主義主張も入っておらず、あくまで一般大衆が楽しめる作品として出来あがったのだ。こういった理由に基づいて考えれば、自称マニアという人にとっては物足りない作品かもしれない。
 ただ不満があるとすれば。やはりあたるの「性格付け」だろう。上記にも書いてある通り、自分の願望を果たす為に、ラムを完全に「切った」というのが、あたるらしく感じられない。原作や、アニメ初期においては、このあたるの対応も全く首肯できる行動だった。特に面堂が現れるまえの、あたる、しのぶ、ラムの関係においては。しかし!「ときめきの聖夜」や「スペースお見合い」、「君去りし後」を経験(したであろう)、あたるが果たして映画のような態度を本当にとったのであろうか。自分のハーレムの夢を成就する為なら、未来永劫、ラムとのカンケイを清算しようとしたのか。このあたるの不可解な行動が私の頭にいつまでも謎として残るのである。
 次に考えるのはラム。このラムもOYにおいてはかなり「女々しい」というイメージが残った。最初のエルの宇宙船登場シーンの後の放浪状態。弁天に「心配かけてごめんね。」と弱弱しく語るくだり。再度あたるを奪われて、指輪を壊そうとして思いとどまり、涙にくれる場面。確かに、ラムにとってはどれもこれも、自分の心をコナゴナに砕く重要事件であった。人間ならば誰でもこういう態度(或いはもっと極端な態度)をとるであろう。しかし!ラムのこういった「お涙頂戴」シーンが、結構長かったような気がする。確かに哀しいであろう、辛いであろう、しかし、ラムならばすぐに立ち直って欲しかった!(←これはあくまで私の個人的希望っすよ)こういったシーンが長かったから、今回のラムは何故か「弱々しい」イメージが付きまとったのであろう。このイメージは、次回のビューティフル・ドリーマーと好対照をみせる。また一方でラムは、自分の愛する「あたる」を、相手の感情を無視して、自分の欲望の為に自分のものにしようとした。でも、この行為自体は、いかにも「ラム」っぽくて、それほど強い「アク」は感じなかった。逆にこういったラムは元気のいい状態のラムだったので、見ている方としては歓迎できる表現であった。もともと、勝手に押しかけ女房になった女だしな。
 というわけで。他の映画と比較して総合的に見れば、私にとってこのOYは、アニメ大人気時代の古き良き映画として好印象を残すものなのであります。
物語評価 ★★★★
作画評価 ★★
総合評価 ★★★☆

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