強制観察型朝顔サイボーグ宿題××号』の存在
No.1 2002.3.3 ゆたんぽ氏 「強制観察型朝顔サイボーグ宿題××号』の存在」 私は『うる星』大好き人間ですが、1話だけどうにもこうにも我慢ならないお話があります。 それは『朝顔、怒りの逆襲』です。 理由は簡単。『強制観察型朝顔サイボーグ宿題××号』の存在です。 小学校に通っているんですよ!?それも観察されるための勉強をするために。 しかもサイボーグですよ!?ロボットでもアンドロイドでもなく! 彼らは幼い頃になにか罪を犯し強制的に改造されたのでしょうか?(年齢的にあり得ない) あの植木鉢の部分に脳髄が入っているのでしょうか?(何らかの知的生命体は間違いない) そうならば、沼正三の『家畜人ヤプー』に出てくる、肉便器(せっちん)並に哀れです。 彼の生きる目的は否応なく『観察される』ことに集約され、それ以外の生きる喜びを一切奪われているのです。 そんな彼を善悪の判断がつかない幼い頃とは言え、谷底に投げ捨ててくるとは…。 「おまえ、つくづく悪どい子供だったんだな。」とあたるが真顔で言うのも当然です。 単に「悪どい」子供だけで良いのに、「つくづく」とわざわざつける辺りに、あたるだけが知っている恐怖の思い出話が他にもあるのでしょうか? これって『読み方』が変ですか? それともタバコと酒で私は頭が変になっている? タバコを止めたいなぁ…。 NO.2 レス・ 2002.3.4 deacon 「レス」 なるほど。確かに。ラムのせいで10年以上小学校を卒業できない、 観察される為にだけにいきるサイボーグ。 わたしもこのエピソードを読んだ時、このサイボーグの哀れさと、ラムの悪どさにあきれ果てたものです。 ラムの場合は、ランに対してもそうですよね。 ちょっとシャレになってないエピソードも多かった。 あれじゃ絶対ランも性格が捻じ曲がってしまうって。 No.3 レス・ 2002.3.4 NbU氏 「レス」 (<光瀬作品>壮大さはもちろんですが、私にはそこに登場する人たちの強さに圧倒されました。 この人はサイボーグテーマの重い作品を多く残されていて(1999年7の月、永眠、あぁ)開発や探査の最前線に立つ為に己が身体を機械化していった男女の悲哀を書き上げています。) そこで、<強制観察型朝顔サイボーグ宿題三号>なんですが、私は彼らを「植物型知的生命体」のサイボーグ、機械化によって動物の様な行動力を獲得した種族だと捉えていました。 彼らにとって「観察」されることは私達が地域の「伝統行事」参加するような文化的意味合いでもあるんだろうなあ、ラムなどの動物型種族との相互理解のカリキュラムででもあったのかな。 くらいの軽い気持で読んでいたのです。ラムあたりに観察されるのはソレハソレハ過酷な試練でしょうが、それに合わせて「強制観察型」オプションを装着して… 彼らの様な種族は他者からのイメージ的にも実数的にもマイナーな存在でしょうから自分のアイデンティティーを確立するには相当な困難が予想されます。それを小学生のうちに宿題として疑似体験させるなんてスパルタですねえ、種族としての敵を増やしてないか、彼ら。 寿命のことは判らないのでなんとも言えませんが、ラムやあたるに関わって平凡な幸せを手に入れることは無茶なこと、彼の将来、このことを糧にどうか幸ある事を祈りましょう。 日本人に生まれて良かった。 No.4 レス・ 2002.3.4 素人氏 「朝顔」 そういえばそうですね。 私は小学生の夏休みの宿題と同じような軽いものだと思っていました。 よく考えると名前が<強制観察型>ですからね。 しかも出来るまで進級できないとは・・・ これって学校側が生徒に観察させるために造ったんでしょうかね? あっ、それでは朝顔の学校の説明がつかない。 朝顔の学校とラムの学校が共同でやってるってことか。 最後に寝ている所を観察されていましたがあれで満足なんですかね・・・ それを言ったらおしまいですね。 私はCAO−2をうに星に放置したまま帰っていって 10年ぐらい忘れているのも結構、悪どいと思いますね。(いや、かなり) しかもそれを平然と話す罪悪感の無いラムを見ていると 地球人との差(?)を感じますね。 No.5 レス・ 2002.3.4 ゆたんぽさん 「No.3、NbUさん論について」 さすがです!たった2行で私の考えを覆すとは!恐れ入りました。 そうかぁ。サボテンが進化したような植物型知的生命体に『動ける躯』を与えたのだと…。 そうとなれば強制的観察に集約されるのでなく、彼らの本能に根ざす『観られる喜び』を満足させる…。と発展的にも考えられますよね。 見事です。返す言葉もありません。 No.6 レス・ 2002.3.5 NbUさん 「朝顔」 そんな、屈服とまで仰られずとも。私も自分と違う読み方をされている方のお考えを新鮮に感じて自分の感覚を書いて見ただけですので。 それにしても(ゆたんぽさんが『いーたいほーだい』でも書かれているように)「うる星」というのは読者が、それぞれの考えや感覚を自由にぶつけて楽しめる素晴らしい作品ですよね。 連載が終わって10年も経ってから、コミックスを読み返していて漸く気づくパロディとか、これについては私のコミック歴が甘いせいでしょうけど。(笑いを取るパロディというより、オマージュ、ネタ的に近づいてしまった過去の名作への『仁義』だったんでしょうし) |
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